「ボンジュール マダム マルタン、ご機嫌いかがですか?」
淡いベージュ色のコートをお預かりしながら、近況をお伺いする。
「しばらく南仏の別荘で過ごしていたから、パリは風が冷たくて体調がすぐれないわ。
年を取ると寒さに弱くなるわね。お肌が突っ張るから保湿ケアをよろしくね」
「お部屋お寒くないですか。ベッドは温めてありますが、温度の調節もできますのでご遠慮なくお申し付けください」
と私が話している目前で、彼女はためらう様子もなく衣服を脱いでいく。
グレーのワンピースに黒のハイヒール……シンプルで上品な装いの70代のマダム マルタンはいきなり黒いレースのブラジャーとガーターベルト姿で私の方に向き直る。
「寒くないから大丈夫よ。私このままでよかったかしら?」
まるでフランス映画の一場面のよう。
「こちらにパレオがご用意してございますので、これを羽織ってくださいませ」
とっさのことで言葉が出てこなかったけれど、何か言った方がよかったのだろうか?
“今日のワンピースよくお似合いですね” とか “素敵なコートですね” とか洋服なら褒め言葉を心得ているけれども、“ランジェリー姿がセクシーですね” まさかそんなことを言うわけにはいかないし……。
それにしても先ほどパリは寒いとおっしゃっていらしたのにどうしてこんなに薄着なのでしょうか?
私なんて、冬はユニクロのヒートテックが欠かせないのに、マダム・マルタンは、毎日こんな魅惑的なランジェリーを身に着けていらっしゃるのかしら?
ひょっとして私に見せるため? まさか!!!
それともこの後、愛人とランデブー?
17世紀の作家セヴィニエ夫人が、
«Le cœur n’a pas de rides. Il est toujours jeune.»
「心には皺はない、いつまでも若いまま」と素敵な言葉を残したように、
パリジェンヌは、いくつになってもパリジェンヌ。
女性であり続けることに年齢制限なんてないのですね。
私たちも、50代になっても60代になっても女性であることを心がけていたいですね。
でもガーターベルトを身に着けた20年後の私、とても想像できません。
まだまだ修行が足りませんね。
そういえば、エステ学校の時も、脱毛実習のモデルになるため洋服を脱ぐと、皆ランジェリーが素敵だったのを思い出します。
脱毛ワックスが付着するかもしれないのに、どうしてこんな繊細な素材のものを身に着けてくるのかと疑問に思っていました。
日ごろから見えないところにも気を使っているのか、それとも人前で脱ぐ日は、そのつもりで心得ているのか?
それはパリジェンヌにしかわかりません。
ところで余談ですが、職場の同僚(フランス人)と私では、体感温度が全く違うので、夏はエアコンが効きすぎて寒いし、冬は暖房をゆるめられてしまい、毎日寒い思いをしています。
真冬でも仕事中は半袖を着ていても平気なのです。
フランス料理を食べていると、体から熱が発生するのでしょうか?
レストランで、お隣のテーブルのスリムなマダムが、分厚いステ-キを召し上がった後で、チーズ、デザ-トまでしっかりフルコ-スを楽しんでいらっしゃるのを見かけることは珍しくありませんが、一見スリムな彼女たち、実は骨格がしっかりしていて筋肉質なので食欲旺盛で、平均体温が37度はあるそうです。
人種によって体温が違うのですね。私は36度くらいです。
20年前にホームステイさせていただいた家庭のマダムが、薄いキャミソールで就寝しているのを見て「寒くないのかしら?」とは思っていましたが、フランスのナイトウエア-はシルク地にレースをあしらったフェミニンなものが主流で、保温性は考慮されていません。
かねてから映画の就寝シーンを見るたびに、あんなに薄着でベッドに入るなんて、リアリティーに欠けると思っていましたが、本当なのですよ。
私はそれでは寒くてぐっすり眠れそうにありませんので、パジャマはいつも日本で購入しています。
真冬でも、パリのマダムは、デコルテの開いたノースリーブのドレスに毛皮を羽織り、肌がすける薄いストッキングにハイヒールでソワレに出かけます。厚手のタイツを履いてひざ下までしっかりブーツで覆っている私は、ドレスコードにはずれているのが恥ずかしくて、いたたまれなくなったことがあります。
でも、体感温度の違いは、仕方がありませんね。
冬の間は、しっかり防寒して、風邪をひかないように元気に過ごしたいですもの。
健康もきれいの秘訣ですからね。
心には皺はないけれども、心はとても傷つきやすいもの。
きっと、新しい恋が古い傷を癒してくれ、時の流れが傷痕を消し去ってくれるのです。
傷ついても、傷ついても、へこたれずに立ち直り、強く生きることが、綺麗の秘訣なのですね。