まだ私が若かったころの思い出話。
フランス語教室のアラン先生と映画に行くと、
彼は座席に着くや否や、
‟Trouvez-vous quelqu’une qui est plus belle que vous dans cette salle? ”
と私の耳元でささやく。
最初は声が小さすぎてよく聞き取れない。徐々に大きな声で何度も何度も繰り返される。たとえ恋愛感情はなくても、フランス人特有の大袈裟なお世辞だとわかっていても、男性からこんな風に口説かれるのは内心悪い気はしないもの ‟こんなところでそんなこと言われてもうまく聞き取れないわ” みたいな中途半端な表情で彼の青い瞳を見つめると、なんとしたことか、痺れを切らした彼は、
「君よりきれいな女性が映画館の中にいますか?ここにいる女性の中で一番美しいと言う意味ですよ」
とご丁寧に翻訳してくれる。
「日本語でそんなこと言うなんて……」
周囲の観客が、私を振り向いてくすくす笑いだす。私は恥ずかしさのあまりいたたまれなくなり、映画が終わるや否や明かりがつくのも待ちきれずに、とにかくその場から逃げだすように飛び出す。映画館を出た後も私の不機嫌はおさまらない。
「さっきのは本当だよ。君はとても美しい。そのなかでも特にそばかすが大好きなんだ」
と余計なことを付け加える。
えっなぜそんなことを言うの? 少しでもこのそばかすが薄くなりますようにと毎日祈りながら美白化粧品を使い続けているのに。効果があらわれ目立たなくなると一安心、でもまた夏がやってくると私の糠喜びをあざ笑うかのように鼻の周囲にしっかりと姿を現す、毎年この繰り返し。いつかこのそばかす一点一点が成長して、お隣同士が仲良くくっついて、しみと名前を変えて私の毎朝の憂鬱の種になるのではという恐れから、無駄な抵抗とは知りながらもいまだに美白ケアの手を抜くことができない。毎年春の訪れとともに各化粧品メーカーの美白商品を比較検討し、せっせと投資し、日々たゆまぬ努力を続けてきたというのに、
「このそばかすが大好き? それ本気で言ってるの?」
「君の瞳もちっちゃな鼻も、そばかすがなければとびっきりチャーミングとはいえないね」
「そんなこと言わないで。しみもしわもない陶器のような白い肌が私の憧れなのよ」
「しみもしわもないつるっとした肌なんて、そんなのプぺ(お人形)だよ 魅力ないね。少なくともフランスではね」
「……」
パリに住むようになってからも、幾度となく同様の褒め言葉に与り、素直に喜んでいいのか悪いのか最初は当惑してしまいました。でもよくよく考えてみると自分の顔の中で欠点だと思っていたことがパリではチャームポイントになるなんて、うれしい発見でした。確かにフランスの女性誌の表紙に顔中そばかすだらけのモデルが使用されているのも珍しくありません。これまでファンデーションやコンシーラーを使って目立たないようにごまかしていたのが、なんだかおかしくなってきました。美的感覚の違いって面白いですね。
それにしても、パリジェンヌはどうして世界中の憧れなのでしょうか?
パリジェンヌと一口に言っても、肌の色が白い人もいれば褐色の人もいて、髪の色がブロンドの人もいれば栗色の人もいて、瞳の色が青い人もいれば緑色の人も茶色の人もいて、背の高い人もいればそうでない人もいて、スリムな人もいればそうでない人もいて、パリで生まれた人もいればそうでない人もいて、そればかりかアフリカ系、アラブ系、アジア系とフランス人でない人も少なくない、定義づけなんて不可能なパリの女性たち。
化粧品売り場に行くとファンデーションの色のバリエーションの豊富さに圧倒されてしまいます。20色以上もあるのです。
褐色の肌専門のブランドもあり、白人から黒人まですべての人種の肌色に対応できるように各社しのぎを削っているのです。
少しでも色白になりたい、もしくは色白に見せたいと思って少し明るい目のファンデーションを塗っていた自分が何だかおかしく思えてきます。この20色の中で見れば私の肌色が一色明るくなろうが濃くなろうが、なんてささいなことでしょうか? 肌の色が白いとか褐色だとかそんなことは気にするなんてナンセンス、肌の色は美の基準でもなんでもないのですから。
おもちゃ売り場には肌の色も人種も異なるお人形がいっぱい並んでいます。黒人の瞳がくりっとした男の子や、白人の青い目の少女、おかっぱ頭のアジアの女の子、どの子が一番かわいいかなんて、そんなこと一概に決められません。それぞれ個性があって優劣なんてつけられないのです。
洋服のサイズだって、たいていのブティックには36号から44号(日本サイズの7号から15号)まで揃っています。背が高くても低くても、太っていても痩せていても劣等感に悩む必要なんてないのです。スタンダードなんて存在しないのだから、他人と比較する必要なんてないのです。今の自分に自信をもつこと、それこそがきれいの秘訣なのです。パリジェンヌは皆自分が一番と胸を張っています。
フランス人でも、そうでなくても
パリ生まれでも、そうでなくても
肌の色が白くても、褐色でも
髪の色がブロンドでも、栗色でも
瞳の色が青くても、茶色くても
背が高くても、低くても
スリムでも、そうでなくても
若くても、もう若くなくても
パリの女は、皆パリジェンヌ
自分の綺麗に自信を持っているのです